「満足した豚であるより、不満足なソクラテスである方がよい」
これは、単なる感覚的欲求を満足させるよりも知的欲求を満足させる方が優れているという考え方だ。
「偏見を抜きにすれば、プッシュピン遊び(ピンをはじく子どもの遊び)は、音楽や詩の技芸と同じ価値を持つ」
一方、快楽とは質ではなく量で測るべきだと提唱する考え方もある。
どちらも功利主義による考え方ではあるが、どのような快楽を重視するかは、個々の功利主義者の考えによって異なる。
功利主義とは、私たちはいかに振る舞うべきかについての考え方だ。
功利主義は結果主義のひとつであり、結果主義は「どのような行為を実践するのが、道徳的に正しいのか?」という問いに答えるものだ。この問いに結果主義は「それは、最善の結果を生む、あらゆる行為である」と答える。
ただ、この答えが成り立つためには、世界のどのような状態が他の状態よりも客観的に「より善」なのかを知っていなくてはならない。
功利主義者は、善と何かについて快楽主義的見解をもつ結果主義者であり、快楽主義のみが客観的な善であると考える。その他の結果主義者は、善には快楽だけでなく、尊敬や平等も含まれると考えている。
さて、功利主義でない結果主義者が日本人に多い気がするのは私だけだろうか。