初めての壁を乗り越える

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物事に取り組む。これは人間なら誰もが経験する作業です。学生ならば勉強、部活動、趣味、恋愛、バイトなど多岐にわたり、社会人なら仕事、結婚、子育てなどが挙げられます。さまざまな経験を積むことによって大きな壁にぶつかることもあるでしょう。

さて、あなたならその壁どうしますか?

私にとって身近なそろばん教室では、検定試験や競技大会などが行われ、学びの進度を図るタイミングが都度訪れます。そんなそろばん教室において、幼少期にそれもできるだけ早い時期から通わせることはとても有益なことだと考えます。

例えば、A君は5歳。2級の検定試験(難易度的に難しくなる級)に挑むことになったとします。早い時期からそろばん教室に通い、机に向かうことを習慣化したA君は、これまでの検定試験は一発合格で3級までのぼり詰めました。本人の中では毎日の練習を繰り返すことはごく自然体であり、大して苦でもありませんでした。しかし検定は3級,2級,1級と徐々に難しくなってゆき、いずれ目の前の壁として立ちはだかります。そしてA君は5歳にして初めて壁に遭遇してしまいました。

初めて検定試験で不合格になってしまったのです。

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しかし彼は、その後の練習と対策を行い、2回目の検定試験でその壁をあっさりと乗り越えてみせました。

なぜなのか?

実はA君、日々の練習を繰り返しているなかで、小さな壁を知らず知らずのうちに乗り越え続けていたのです。それもあたかも生活の一部かのようにです。しかも彼は、初めての壁を乗り越えたことで自信と勇気を獲得できました。この自信と勇気が両輪となり、さらなる高みへと歩みを進めることになります。

人間は自我が芽生えると逃げるという選択肢があることに気づきます。人は豊かで快適な生活を一度覚えてしまうと元の生活に戻れないともいいます。自ら生活水準を下げることができないのです。人間は基本的に弱い生き物ですので楽を覚えるとそちらへ逃げてしまうものです。

A君もいずれそのような選択肢に迫られますし、一度逃げを覚えてしまうと人生に「逃げ癖」がついてしまいます。本当の壁とはそこなのでしょう。

ただ、人生において逃げることが必ずしも悪ではありません。正しい選択に「逃げる」が必要な場面もあります。それは早期撤退の場面であり、傷口をこれ以上広げないための施策です。この場面でいう「逃げる」は幼少期の逃げるとは全く異なり、社会全体を把握している状況での一時的な撤退なので、時機をうかがいながら何らかの形で再起する気力がそこにはあります。つまり勝機があるかどうかなのですが、幼少期の子にそこまで考えが及ぶことはほぼ皆無だと考えます。

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そして、ここからが親の価値観が大きく左右される場面です。「子どもが嫌がっているので辞めます」というのは簡単なことです。子どもが嫌がっているのは辛いことから逃げるための防御策なのですが、親がそれを真に受けてしまうケースが見られます。最初の壁を乗り越えることの大切さをどれだけ重要視しているかは親の資質にかかっています。まだ物事の判断がつかない子どもに対して、将来へ向けた伸びしろを親が潰していることがあるならばとても残念なことです。

一方指導者は、大切な幼少期、最初に染み付くのが「逃げ癖」なのか「挑戦癖」なのか?生徒一人ひとりと向き合わなければならない課題だと思います。人生において考え方から導いてくれる人はとても尊いものです。指導者ならば後者を指し示し、上手に導きたいものですね。