物事を判断するにおいて大切なことに「目的」と「手段」があります。目的とは最終的ゴールのことで、手段はその目的を達成するための方法となります。目的と手段の関係は、必然的に目的の傘下に手段は存在することになります。目的という絶対的ゴールを達成するためには、目的の傘下である手段は複数あっても良いわけですし、より良い手段があった方が目的は達成しやすくなります。
さて、物事を進めていく際に目的意識をもって動けている人がどれだけいるのでしょうか。
肌感覚ではありますが、相対的に8割の人は考えていないように感じます。この思考が身についていないと挑戦すべき目標が定まらないことに加え、突然発生するようなトラブルにも即座に対応ができなくなります。そしてさらに困るのは、問題定義を正しく切り分けできないので、間違った判断を犯す可能性がきわめて高くなることです。
いま問題になっているのは目的に該当するのか、それとも手段に該当するのか?議論を交わすなかで話が一向に進まない経験は誰もが一度はあるかと思います。話が嚙み合わなかったり、話の論点が逸れるなどは正にこれに該当します。
目的をベースとした者同士が議論すると問題定義を建設的に進めることができます。それはお互いの共通意識としてゴールが明確なので論点が逸れることがなく、きわめてロジカルな議論を交わすことができるため目的を達成する確率は高まります。自分が望んだ結果を手にすることができるのでモチベーションの維持につながり、また生産性も高まり安定した利益を得ることができます。
もし、幼い時期からこのような思考で行動できるのであればどうでしょうか?
きっと他を凌駕することでしょう。
指導者が生徒を育てるうえで目的意識を植え付けることは『価値のある指導』のひとつとなります。これは指導者ならばしっかりと教えていくべき思考です。
例えば、検定試験に向けてどのように取り組むのか?が問題定義に上がった場合、そもそも何のために検定試験に挑戦するのだろうか...目の前の壁を乗り越えるため?ここでのひとつの努力が他の大きな努力を生むから?(大学受験に向けての一歩)、難関大学に受かるのは人生の選択肢を広げるため?それはより良い収入を得るため?将来豊かな生活を送るため?
この場合、検定試験は小さな目的にもなりますが、大きな目的から見たら手段にもなります。検定練習は合格するための手段です。このようにひとつひとつの行動に意味があることに気づかせることが指導の本質だといえます。
考え方はさまざまありますが、その先にある大きな目標から一つずつ引き算していくことで、大きな目標を達成することができるのです。努力の意味、継続することの意義、その原動力は全て目的意識(ゴール)から生み出されることを忘れてはいけません。